聞き手: |
中村先生が公認会計士を志したきっかけを教えて下さい。 |
中村先生: |
戦後の喧騒の中始めた販売業が順調に進んでいたところ、税務署が所得の調査にやってきました。その際に所得の計算について、税務署と議論になったが、「素人が何を言う」と不当な課税をされた挙句、家財や住居の差し押さえまで受けてしまった。その際素人よばわりされた悔しさも手伝って、税務署と互角に立ち会うためには公認会計士しかないと考え、そうなる決意をしました。 |
聞き手: |
当時の公認会計士試験はどのようなものだったんですか。 |
中村先生: |
当時の公認会計士試験は年に2回行われており、1回に80人ほどが合格していました。 試験科目は会計学、商法、財務諸表、簿記、会計監査論、税法などでした。 私は割合試験には強い方だと自負していましたが、この試験には大変苦労しました。
合格したのは昭和27年です。 |
聞き手: |
公認会計士試験合格後、すぐに開業なされましたが、その頃のお話を聞かせてください。 |
中村先生: |
開業後早速名刺をつくり、上野駅前から広小路まで一軒ずつ勧誘に歩いたが、残念ながら一軒もお客をとることが出来ませんでした。
当時公認会計士は、私を入れてわずか500人ほどで、能力は高く評価されていたのですが、私はなかなか顧客を得ることが出来ませんでした。 このとき、私はつくづく資格よりもまず信用が大事なのだということを知りました。 公認会計士としては苦難の始まりでしたが、商工指導所から指導に行った乾物屋のご主人が私を信用して、文京区内の乾物屋を4件ほど紹介してくれました。それが最初のお客さんでした。 |
聞き手: |
その後は順調だったんですか。 |
中村先生: |
その後は昭和33年、二部の株式が公開され、そのとき私を監査のパートナーに選んでくれた先輩がいまして会計監査の分野に進出するなど、公認会計士としての仕事は順調に進みました。 |
聞き手: |
公認会計士協会との関わり合いについてお聞かせください。 |
中村先生: |
昭和32年に公認会計士協会の幹事に就任したのですが、そのときの私の働きぶりを見て、当時東京会の役員をなさっていた先生が、日本公認会計士協会の理事に立候補するよう勧めてくださいました。 その選挙の結果、最年少の常務理事として日本公認会計士協会の経理部を担当する事になりました。 それ以後、私は公職として協会の役員を歴任する事となりました。 |
聞き手: |
監査法人について感じることをお聞かせください。 |
中村先生: |
監査法人制度によって、監査水準は急激に向上したけれども、監査責任者が現場に赴く事が少なくなり、また、人生経験の未熟な公認会計士が監査実務の尖兵なるために、精密でよい面もあるが、一方で若いうちから先生として扱われることで、仕事が機械的になりすぎて、心の温かさが失われ始めているように思われます。 |
聞き手: |
公認会計士としての人生のなかで、いくつか災難があったとお聞きしていますが。 |
中村先生: |
私は公認会計士になってこれまで2つの災難に出会っています。
第1は、取引していた会社が破産した時に遭遇した職業上の災難です。 ある会社の監査を行っていたのですが、経理部長から示された財務諸表は優秀な業績を示すものでした。しかし同社は当時、労組と争っており、財務諸表は労組により組み立てられ、見えないところに手を加えられたものでした。 危うく適正報告書を出すところでしたが、ある人の示唆のおかげで、同社の財務内容の真実が明らかになりました。意見差し控えの報告書が出て1月も経たないうちに同社は倒産し、マスコミで報道されました。 もし適正報告書を出していたらと思うと冷や汗が出ます。 |
聞き手: |
他にはどのような事が起きたのですか。 |
中村先生: |
第2の災難は、私の経営していた事務所内の出来事です。 事務員が税理士試験を受験する為に、受験資格を得るのに必要な経理事務を行っている事の証明をしましたがそれに関するトラブルです。 幸い、私の証明には問題はないという事になりました。しかし、もしもあの証明が問題ありとして不正証明などとなっていれば、叙勲など受ける事はなく、今の私はなかったと思います。 |
聞き手: |
先生の仕事以外での趣味等について教えて下さい。 |
中村先生: |
私は旅行が好きで、これまで主にヨーロッパを中心に、妻と世界各地を旅して歩いています。 行く先々での出会い、風景、歴史、伝統など、見るもの、感じるものすべてが新鮮で、心を酔わせてくれますし、ヨーロッパは何度訪れてもその瑞々しさに気持ちが和みます。 |
聞き手: |
なぜヨーロッパがお好きなんですか。 |
中村先生: |
戦前からヨーロッパ旅行について経験豊富な方から、ヨーロッパに行くならスイスは計画から外さないようにといわれていました。 そこで、初めてのヨーロッパ旅行でイタリアからスイスに向かいました。 そのときに見たスイスの穏やかで、のどかで、まさに天国のような情景に感動し、以来ヨーロッパに惹かれています。 |
聞き手: |
公認会計士は何歳まで仕事ができるでしょうか。 |
中村先生: |
人それぞれでしょうが、75歳まではできるね。 但し、現場に出ることができるのはもう少し若い時まででしょう。 年齢によって、仕事の内容が変化するものです。 年配の経営者と話をするには、ある程度歳をとっていたほうが都合がよいこともありますからね。 |
聞き手: |
最後に、公認会計士三田会のメンバーに対し、先輩としてのアドバイス・激励等を頂ければと思います。 |
中村先生: |
公認会計士の仕事は高い専門性を求められ、また、公共性が高く、公認会計士は社会に対して大きな責任を負っているといえます。 このような重責を果たすべく、専門家として日々研鑚に励み、誇りをもって職務に邁進して下さい。 皆様にはそれだけの能力があるはずです。 それが公認会計士三田会、ひいては会計業界の更なる発展・飛躍につながると思います。 |
聞き手: |
どうもありがとうございました。 |